top of page

INTRODUCTION

 それはそれは、私は単純な男。朝起きて、たまたま観たテレビ番組でおいしいパンが紹介されたとすれば、昼食にパンを食べようと考える。ブリットポップが大好きだという理由で英国式パブに隙あらば足を運ぶ。CMで可愛い女の子が笑顔で商品を手にしていれば、迷わずその品を選んでしまう。

 

 つまりは流されやすい男。流れとノリで生きているのです。

 

 そんな私が学生時代から相も変わらずバンドを続けているのはなぜでしょうか?それは音楽が好きだから。というごく当たり前の理由の他にも、きっと何かがあるのではないかと思ったりもするのです。

 

 さて、この GUITAR POP IS DEAD? というバンドには、当然のごとく、始めるためのきっかけがもちろんありました。忘れもしない2015年1月21日。インターネットという世界にとある楽曲が公開されたのです。そこには私が心の底から欲していた音楽が鳴り響いていました。その映像には私を掻き立てる何かがありました。そして、単純な頭はまたしても、思いついてしまったのです。

 

 “あの子と一緒にバンドをやろう”

 

 私は脊髄反射でとある友人の子にメッセージを送っていました。その日のやりとりでの私のテンションの高さったら、それはもう異常です。完全に躁状態ってやつです。歯止めのきかない暴走列車のごとく、言葉を投げつけていました。彼女はそんな私のことをどう思っていたのでしょうか?考えるのも怖いですね。

 

 それからの私は曲を書くだけでなく、書き溜めた曲の中から選別したり、過去に組んでいたバンドの楽曲で今でもやる意味のありそうな曲を探してみたり。それはとにかく楽しくて仕方ない、衝動に駆られた日々。作ったデモ音源を一人で聴いてはあらゆることを想像していました。

 

 そんな私に対して、神様は大いなるいたずらを仕掛けてきました。

 

 私の異常な熱量に耐えられなくなり、その子はドロップアウト。音信不通になってしまったのです。そう、つまりは友人関係も破綻してしまったという。音楽は時に残酷な結末を呼ぶものだったんですね。

 

 しかし、新たなるバンドを諦めきれない往生際の悪い私。次の瞬間にはメンバー募集をかけていたのでした。まずはヴォーカルから。

 

 といっても、募集要項に記した文言があまりに無茶苦茶だったのか、一向に反応はなし。これはやはり断念するしかないのか?なんて思い始めた2016年の1月のこと。とある女性からメッセージが届いたのでした。

 

 やり取りを進めているうちに、音楽での共通項が多いこともわかり、その女性から自身が参加するバンドのライヴへのお誘いが。しかも、そこで奏でられる楽曲が、このバンドを始めるきっかけとなったあの楽曲!これは何かの運命。当然のごとく、私は足を運んだのですが、そのライヴを観て、確信したのでした。この女性とバンドをやるのだ、と。ここまでお読みの方はもうお分かりかと思いますが、その女性こそが当バンドで歌うカオリであったのです(ちなみにドラムを担当していたのが、当バンドでドラムを叩くサトウだったり)。

 そう、神様は見放していなかった!

 

 それからは様々なことを考えるばかり。彼女がどういう服を着て、どういうアクションでステージに立つか。彼女の隣に並ぶにはどんなスタイルでいればよいか。どういう曲をどんな風に奏でていけばよいか。アーティスト写真はどうしようか。楽曲を発表するのであれば、どのような方法がいいか。考えるだけで気持ちは高まるばかり。

 

 そんな状態から始まったこのバンドはどうなっていくのでしょうか?生み出される音楽はどのように呼ばれることになるのでしょうか?渋谷系?パンク?オルタナティヴ・ロック?シューゲイザー?J-POP?やっぱり、ギターポップ?

 

 カテゴライズされることを拒むアーティストが多いこのご時世ですが、私たちはここに宣言いたします。大人の悪ふざけに彩られたポップ・ソング。それが GUITAR POP IS DEAD? の音楽であると。

 

 つべこべ言わずに音楽を聴かせろというあなたのために、早速ですが、ご用意させていただきました。2017年の1月29日、下北沢BREATH。GUITAR POP IS DEAD? による大人の悪ふざけとやらをご堪能ください

 ばぶー​

​2016年12月 チダマサキ

bottom of page